1. なぜか我が家にやってきた「木彫りの熊」という名の厄介者
「自分では絶対に買わない」のに、気づけば部屋にいる不思議
人生で一度たりとも
「よし、木彫りの熊を買おう」
なんて思ったことない。
雑貨屋の片隅で見かけても
「へえ、リアルだな」
でスルーするし、おしゃれなインテリア雑誌のページをめくっても、北欧風の家具やドライフラワーの横にコイツが鎮座している写真なんて絶対にない。
それなのに、なぜなんだろう。
実家からのおすそ分けか、あるいは昔の旅行土産の余りか、気づけば我が家のリビングの片隅にコイツはいる。
頼んでもいないのに、まるで最初からそこに住んでいたかのような顔をして。
思い入れなんて、本当に1ミリもない。
捨てていいなら今すぐ燃えるゴミに出したい。
でも、なぜか捨てられない。
この、どうでもいいのに処分に困る絶妙な立ち位置が、地味にイライラする。
洋室のインテリアと完全反発する「あのテカりと和風の香り」
恐る恐る持ち上げてみる。
……重い。
そして、なんとも言えない古くさい木と、独特のニスのテカり。
光を反射して変にギラついている。
一番アカンのは、あの「とてつもない和風の香り」だ。
うちのリビングは、一応それなりに頑張って揃えたフローリングの洋室だというのに、この木彫りの熊が放つ圧倒的な昭和の北海道感は一体なんなんだろう。
水と油、いや、それ以上に激しく反発し合っている。
鮭をくわえたあのマヌケとも鋭いともつかない表情で、じっとこちらを見つめてくる。
熊:「おい、どこに飾るんだ?」
と問われている気がして、なんだか冷や汗が出る。
モダンなソファの横にも、テレビボードの上にも、どう転がしても似合う気がしない。
お土産屋さんや温泉街の旅館のロビーで見かけたときは、あぁ風情があっていいなって思ったはずなのに、いざ自分の家に連れて帰ってきた途端、ただの持て余す異物に成り果てている。
2. 来客の目を気にして……。「飾る場所がない」というリアルなジレンマ
玄関やリビングに置けば、自分のセンスが疑われるという恐怖
家の顔である玄関、あるいは家族がくつろぐリビング。
来客が来るときに、一番目につく場所にこいつを置くなんて、選択肢として絶対にありえない。
なぜかって?
「この家主、一体どういう趣味してるんだ…?」
って、確実にドン引きされる自信があるからだ。
「あ、これ? 実家から送られてきてさ〜」
なんて、会心の笑みで言い訳している自分の姿が容易に想像できるけど、そんな余計な予防線を張らなきゃいけないこと自体がすでにストレスだ。
友人や恋人が遊びに来たとき、一瞬目が止まって
「……あ、うん、味があるね」
と乾いた笑いを浮かべられるあの瞬間を想像するだけで、胃がキリキリする。
自分のセンスだと思われたくない。
でも捨てることもできない。
この中途半端な罪悪感を抱えたまま生活するの、しんどいな。
お土産屋さんで輝いていたあの頃を思えば、少し切ないミスマッチ
でも、ちょっと思うんだ。
この熊だって、もとはと言えば北海道の雄大な自然や、職人さんがノミで一つひとつ削り出した立派な工芸品のはずだ。
旅行先のお土産屋さんや、歴史ある温泉街の売店に並んでいたとき、あいつらは間違いなく輝いていた。
木目の温もりが溢れる空間で、他の民芸品たちと肩を並べ、旅のロマンをぷんぷん匂わせていた。
あの場所で見る木彫りの熊は、それなりに風情があって旅の思い出として完璧だった。
なのに、どうしてなんだろう。
我が家に連れてこられた途端、その輝きは跡形もなく消え去り、ただの浮いた置物に成り下がっている。
コンクリートっぽい壁、白いクロス、どこか無機質なフローリング。
そんな今風の空間にポツンと置かれた熊を見ていると、熊のほうだってもしかしたら
「俺も、こんなとこにいたくねぇよ…」
って思ってるんじゃないか。
お互いにとって不幸でしかない、このあまりにも残酷なミスマッチに、なんだか少し切なくなってくる。
3. 仕方なく選んだ「ダンボールの中での冬眠」がもたらす小さな不安
視界から消すために、とりあえず見えない箱へ押し込む現実
リビングに置くわけにいかない。
かといって、ゴミ袋に入れてポイッと捨てるほど鬼畜にはなれない。
あの鮭をくわえた目で見つめられるたびに罪悪感がわいて、でもインテリアにはどうしても馴染まない。
結局、行き着く先はこれしかない和室の片隅か、それすらも無理なら——もう、ダンボールにブチ込むしかない。
「ごめんな、しばらくそこで寝ててくれ」
プチプチの緩衝材でぐるぐる巻きにし、もう二度と視界に入らないようにガムテープでガチガチに封をする。
そうだ、これが一番平和だ。
見えなければストレスもない。
あたかも我が家に最初からそんな存在はいなかったかのように、日常の平穏を取り戻す。
とりあえずの延命措置としては完璧なはずなのに、なぜか心のモヤモヤは完全に晴れない。
「あれ、あのクマを詰めたダンボール、どこにしまったっけ?」――いつの間にか記憶の彼方へ消えていく、モノ迷子の予感
ダンボールに詰めて、クローゼットの奥か、はたまた押し入れの天井付近に押し込んだその瞬間は、これでよしと思う。
だけど、人間の記憶なんて都合よくできているものだ。
数ヶ月、あるいは数年が経ったとき。
「あれ……? そういえば、あのとき無理やり詰め込んだ木彫りの熊のダンボール、どこに片付けたっけ?」
そう思ったが最後、記憶の糸はプツリと切れている。
押し入れの奥底か、ベランダの物置の隅っこか、はたまた引っ越しのときの段ボール箱にまぎれていたか。
今すぐ必要なわけじゃない。
どうでもいいといえばそのとおり。
だけど、どこに行ったか分からないという事実だけが、心の片隅にトゲのように残り続ける。
いざというときに見つからないあのモヤモヤした不快感の種が、まさにいま、この瞬間から蒔かれ始めている。
4. 増え続ける思い出の品、本当に「どこにあるか」把握できていますか?
押し入れの奥にしまい込んで、二度と取り出せなくなる恐怖
木彫りの熊だけじゃない。
昔集めていたアニメのグッズ、旅行のたびに買ったよく分からない置物、限定版の雑誌、人からもらったけど使っていないブランドの小物……。
「いつか使うかも」
「思い出だしな」
と言い訳しながら、気づけば家の中は手放せないモノであふれ返っている。
「とりあえず、あのダンボール箱にまとめて押し入れの奥へ突っ込んでおけばいっか」
そうやって視界から消し去った瞬間はスッとするけれど、現実はそんなに甘くない。
空間を制圧したはずのダンボールの山は、そのままどこに何が入っているか分からないブラックボックスへと変貌を遂げる。
いざ
「あれ、どこにしまったっけ?」
と探そうものなら、もう地獄の始まりだ。
開けたくもないホコリまみれの押し入れをひっくり返し、汗だくになりながら段ボールを一つひとつ開けて中身を確認する羽目になる。
あの、お目当てのモノがどうしても見つからないときの途方もない脱力感と、
「私、何やってんだろ…」
という冷めた自己嫌悪。
二度と日の目を見ないまま、闇の中に埋もれていくモノたちの気配を感じるたび、心の底からゾッとする。
5. 「捨てるのは忍びない、でも家には置きたくない」モヤモヤの正体
自宅の収納スペースは、すでに限界を迎えているという現実
冷静になって自分の部屋を見渡してみる。
クローゼットの中は洋服でパンパン、押し入れの下段は季節外れの家電や謎の段ボールで埋まっている。
これ以上、新しい収納ボックスを買い足すような床の余裕なんて、家の中のどこにも残っちゃいない。
なのに、生活していれば勝手にモノは増えていく。
もらったお土産、なんとなくとっておいた思い出の品、いつか使うかもしれないガラクタたち。
「これ、本当に必要か?」
って自問自答したとき、答えは間違いなくNOだ。
でも、だからといって今すぐゴミ袋に放り込んで捨てるほどの決心もつかない。
捨てる罪悪感と、収納スペースの物理的な限界がガッツリ正面衝突して、我が家の収納事情はすでに完全に詰んでいる。
この打つ手なしの閉塞感が、地味にじわじわとメンタルを削ってくる。
本当に手放したいわけではなく、「窮屈な部屋から解放されたい」という本音
よく
「断捨離だ!」
「ミニマリストになろう!」
なんて言葉を聞くけれど、ぶっちゃけそんな高尚な境地にはなれない。
思い出の品や、人からもらったものは、できることなら手元に残しておきたい気持ちだって正直ある。
じゃあ何が一番ストレスなのかって、そのモノ自体が嫌なんじゃなくて、それらに自分の生活スペースを占領されて部屋が窮屈になっていること、そのものなんだ。
本当は、もっとスッキリした、余白のある綺麗な部屋で暮らしたい。
ソファに座ったとき、視界の隅に変な置物や段ボールの山がチラつかない、ストレスフリーな空間を取り戻したい。
「モノは手放したくない、でも今の窮屈な部屋からは一刻も早く解放されたい」
この矛盾したワガママな願い、どうにかして両立させる方法なんて、本当にないんだろうか……。
6. 家に置いておく必要のないモノは、スマートに「外」へ預ける
押入れのスペースを1ミリも圧迫しない、新しい選択肢「宅配型トランクルーム」
「モノは捨てたくない、でも部屋は広く使いたい」
このどうしようもないジレンマを一発で解決してくれる方法なんて、どうせ大きな貸し倉庫を借りるような面倒くさい話だろ……って思ってた。
わざわざ車を出して、休日に遠くのトランクルームまで荷物を運びに行くなんて、めんどくさがりな自分にできるわけがない。
だけど、自宅にいながら、段ボールに詰めて送るだけで完結する『minikura』のような宅配型トランクルームがあるって知ったときは、正直ちょっと目からウロコだった。
これなら、あの厄介な木彫りの熊も、思い出の詰まった段ボールも、我が家の貴重なクローゼットや押し入れのスペースを1ミリも圧迫しない。
家賃を払っている自分の部屋の空間を、ガラクタのために削られる必要が一切なくなる。
まるで、自宅の収納がそのままスマホの向こう側にスーッと拡張されたような感覚だ。
これなら私でも無理なく使えるかもしれない。
スマホで中身の写真をいつでも確認できるから、「どこに行ったっけ?」の不安すらゼロにする快適な暮らしへ
そして何より最高なのが、あのとき感じていた
「ダンボールの奥底へ消えていく不安」
を完全に消し去ってくれるところだ。
ただ預けて終わり、じゃない。
専用のアプリを開けば、自分が預けたダンボールの中身が写真で1点ずつ(あるいはボックス単位で)きちんと管理されている。
「あぁ、あのとき無理やり詰め込んだ木彫りの熊、今ここにちゃんとお行儀よく眠ってるな」
って、スマホの画面をタップするだけで一目で分かる。
「あのダンボール、どこにしまったっけ?」
と押し入れの奥を引っかき回して汗だくになる必要も、記憶の彼方に思いを馳せてモヤモヤする必要も、もう二度とない。
思い出の品は手放さなくていい。
でも、今の窮屈な部屋からはキレイさっぱり解放される。
視界の端でギョッとさせられる木彫りの熊の姿も消え去り、すっきりと片付いたリビングで、コーヒーを飲みながら深呼吸する。
そんな、頭のなかのモヤモヤまで一緒に片付くような、本当に欲しかった快適な暮らしが、ここから始まる。


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